無題。
僕の東京時代は非常に孤独で辛いモノだった。今思えば、東京という場所は特に「成果主義」となり易く、信頼関係や、そこに至るまでの過程や「心」を大切にしない人の多くいる場所のような気がする。

しかし、その場所を選んだのも当時の僕であるし、東京でも信頼関係や「心」といった部分を大切にしている人もいるだろうし、そんな場所もあるだろうと思う。

それでも当時の僕は未熟が故にそれが分からなかった。自分一人で生きて、自分一人でボクシングをしているような気になっていたのかもしれない。

そんな僕を襲ったのは強い孤独感だった。勝っても負けても泣く事もなく、大きな感動は得られなかった。人に対しての感謝という思いや「おかげさまで」という思いもほとんどなかった。

そんな未熟な僕が東京で強く感じたモノは「孤独感」と「虚無感」と「寂しさ」だった。

そんな辛い経験からも、僕がジムを開いて日々高まってきた思いは「信頼関係」「チーム」「人の為に」という選手時代の僕が一番求めていたモノだった。

「ひとりよがり」。若いうちには皆、一度はその落とし穴にハマったり、ハマり掛ける。

住直も、そんな思いにハマり掛けた頃がある。僕には彼らがそうなる気持ちもよく分かった。

だから、よく二人を観察し、それが間違いである事に気づくチャンスを探した。

そして二人は「自立する事」と「ひとりよがり」の違いに気づき短期間で軌道修正をする事ができた。

これも数年間、苦楽を共にしてきた信頼関係や日々の指導やコミュニケーションがあったからこそだと思う。そして、もう一つは住直の親が僕を信じて僕に二人の事を任せてくれているからだと思う。

今までには、うまく育てる事ができなかった選手も数人いる。それはボクシングの事だけではなく「心」の部分での事。

原因は「コミュニケーション不足」と「親の問題」であると強く感じている。会員の親の教育に関して、僕がとやかくは言えない。それでも選手として僕の元でやっていく限りは僕を信じて任せてもらうしかない。

人は弱い。だから楽な方を選ぶ。親が甘やかせば、子供はそちらを選ぶ。親の教育次第で子供が外でうまく心が開けないようになっているようにも感じている。

「子供を見れば、その親が分かる」「友達を見れば、その人が分かる」と言われる。人は皆「鏡」。これは「すべては一つ」にも通じる。だから僕だって出会う人出会う人、どの人の問題だって自分と無関係ではないと思っている。

短絡的に「良い学校に入れたい」「良い就職をさせたい」・・「そうすれば苦労はしない」と思う親がほとんどのような気がする。

だけど、人は経済的に、物質的に、豊かになる事だけが生まれてきた意味だろうか。

僕も「成果」は求めるが、「成果主義」ではない。短期的な「成果」よりも大切な事があり、それが後に長期的な「成果」を上げていく為にも必要になるのだと思っている。僕が言うそれとは「人間力」の事だ。

僕の経験からも、人は「能力」だけでは人生はうまくはいかないと思う。人を助け、助けられ。人を支え、支えられ。人を愛し、愛され。人と人との間で揉まれながら生きていく事が「人間」としての学びであり、本当の「幸せ」への道なのだと思う。

それが、今は分からない人もいるかもしれないが、それは仕方がないと思う。人は経験しなければ本当の意味では理解しないからだ。

指導者として非常に悔しく、残念な気持ちになる事もある。しかし、それからも学び、「選手育成」に関して同じ過ちを繰り返さぬように、よく考えて改善策を探す。         マサ

PS 書きたい事が多過ぎてうまくまとまっていません。故に「無題」。また少しずつ書きます。
カテゴリ:高橋イズム | 04:58 | comments(0) | - | - | - |